きょうを書いとこ日記

きのうとほんの少し違うきょう。だけど遠いあの日とはだいぶ違う。何から書こうか。ええと、そうだな、とりあえず、

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見知らぬ祖父

― あなたのおじいちゃん、おばあちゃんは既にこの世にいないの ―

私は小さい頃より、そう聞かされて育った。
しかし。

母方の祖父は生きていた。
実に私が30歳になるまで。

祖父が存命である事実は、私が物心がついてから、祖父本人が他界するまで30年間、私の耳に入らないように隠蔽されていた。もう、「嘘」を通り越して、別の言葉にしたいくらいの長さである。

私が生まれて間もなく、その祖父(私の母の父親)と、私の父との間で折り合いが悪くなり、両家は完全に関係を絶っていたのだ。私の母は私の父に隠れて、祖父に何度か会いに出かけていたらしいが、私を連れて行くことは一度としてなかった。


祖父が亡くなったのは平成7年の夏、母から電話で知らされた。

      ― ついこの間まで生きていたのよ ― 

他人の事のようだった。特別に湧き上がる感情はなかった。

その人と、ひとことも会話を交わしていない。
今さら打ち明けられても何も変わらない。
私と祖父の間の思い出は、あらかじめ失われていたのだ。

昨年の冬、母から小さな小包が届いた。
封を開けると中から出てきたのは、生前に祖父が書いた文章を集めた小冊子。同封してあった母の手紙を読むと、祖父の死後に母がいろいろなところから祖父の雑文を取り集め、母自身がパソコンで全文入れ直して、小さな冊子に製本したものだった。

私が手にした冊子を見て、「なに?それ?」と聞く妻に、おじいちゃん、と言いそうになって、「祖父が書いたもの」と言い直した。考えてみれば、おじいちゃん、などという言葉は生まれてから発したことがなかった。

妻に、会ったことのない祖父のことを話した。どこかに傘を置き忘れたくらいのレベルの喪失感で。妻は表情には出さないがかなり驚いたと見え、その後に言った。

「へえ…おじいちゃんと一回ぐらい会えたら良かったのにね。今からすると会ってみたかったでしょ」
「今からすると、と言われても」
「もしも会えたとしたらってことよ」
「…」
「どう?」
「まあね、会ってみてもいいかも」


目の前にある小冊子はすぐに読まずに放置しておいた。
春になっても読む気がしなかった。
そして、夏になってページをめくってみた。




その文章を目でたどり、
そこで私は、
自分と血の繋がった祖父に初めて対面した。

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  1. 2006/08/15(火) 21:52:41|
  2. きょうの体験
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